琥珀色に輝くチーズや、チップが焦げていく甘く香ばしい匂い。
その香りを深く吸い込むだけで、なぜこれほど心が満たされるのだろうと思うときがあります。
けれど、ふと冷静になったとき、煙の向こう側に小さな不安がよぎることはないでしょうか。
「煙を食材にまとわせるのって、体には悪くないの?」
「焦げたようなものだし、発がん性とか大丈夫?」
インターネットで検索すると、「燻製 体に悪い」「危険」といった強い言葉が飛び込んでくることもあり、せっかくの静かな時間が少し曇ってしまうかもしれません。
私自身、大学で食品科学を学び、今はこうして安曇野で煙と暮らす中で、この「安全性」というテーマには慎重に向き合ってきました。
結論から言えば、燻製には確かにリスクとなる要素が含まれています。
しかし、その「正体」を知り、正しく付き合うことで、恐れることなく日常の楽しみとして続けることができます。
今回は、漠然とした不安を解消するために、煙と健康の関係、塩分や栄養のこと、そして長く安心して楽しむためのポイントを、私の経験も交えて丁寧に紐解いていきたいと思います。
燻製は本当に「体に悪い」のか?煙と発がん性の関係
まず、一番気がかりな「発がん性」や「煙の成分」について、目を逸らさずに見ていきましょう。
「燻製は煙を使っているから体に悪い」と言われるのには、科学的な理由がちゃんとあります。
ただ、それは「絶対に食べてはいけない」という意味ではありません。
煙の成分と「ベンゾピレン」の話
木材を燃やして煙を出すとき、どうしても避けて通れないのが「タール」や「ベンゾピレン」といった物質の発生です。
これらは、有機物が不完全燃焼を起こすときに生成されるもので、確かに発がん性が疑われる物質として分類されています。
真っ黒に焦げた魚や肉を毎日大量に食べると良くない、と言われるのと同じ理屈です。
農林水産省の資料でも、有機物が燃焼する際に発生する「多環芳香族炭化水素(PAH)」について言及されており、食品の焦げた部分や煙にこれらの成分が含まれることが解説されています。
燻製、特に煙を直接食材に当てる昔ながらの製法では、微量ながらこれらの成分が食材の表面に付着する可能性があります。
これが、「燻製は体に悪い」と言われる最大の根拠です。
しかし、ここで大切なのは「量」と「頻度」の視点だと私は考えています。
(出典/参考リンク) 食品中の多環芳香族炭化水素(PAH)について(農林水産省)
食べる頻度と摂取量のバランス
私たちは普段、焼き魚の焦げ目や、炭火焼きの焼き鳥などを美味しく食べています。
それらに含まれるリスク物質と、家庭での燻製に含まれるものが、桁違いに違うわけではありません。
問題になるのは、それを「毎日」「大量に」摂取し続けた場合です。
燻製は、ご飯やパンのように毎日主食として山盛り食べるものではないはずです。
週末の夜に、お酒のあてとして少しつまむ。
キャンプの朝に、ベーコンを数枚焼く。
そうした「嗜好品」としての楽しみ方であれば、過度に神経質になる必要はないと、多くの食品科学の専門書でも示唆されています。
焦げすぎた部分は避ける勇気
それでもリスクを減らすために、私たちができることがあります。
それは、もし燻製中に食材が「真っ黒に焦げてしまった」場合は、その部分を思い切って取り除くことです。
特に、温度管理が難しい焚き火での燻製や、チップに脂が落ちて炎が上がってしまった場合、煤(すす)が大量につくことがあります。
この煤には、好ましくない成分が多く含まれています。
「せっかく作ったのにもったいない」と思う気持ち、痛いほどわかります。
でも、煤がついた部分は苦味も強く、決しておいしいとは言えません。
美味しく、そして健康に食べるためにも、焦げや煤はナイフで削ぎ落としてしまいましょう。
それは失敗ではなく、自分への「優しさ」だと思えばいいのです。
気になる「塩分」と「カロリー」の真実
煙の成分以上に、実は日常的な健康リスクとして意識すべきなのが「塩分」と「カロリー」です。
燻製が「お酒泥棒」と呼ばれるのには、理由があります。
燻製=保存食という原点
もともと燻製は、冷蔵庫がなかった時代の「保存食」として発展してきた文化です。
食材の水分を抜き、腐敗菌の繁殖を防ぐために、どうしても「塩漬け」という工程が欠かせません。
市販の燻製製品や、保存性を高めるための本格的なレシピでは、かなり強めの塩分濃度に設定されていることが一般的です。
「体に悪い」と感じる原因の一つは、この塩分の高さによる、むくみや高血圧への懸念かもしれません。
美味しいからといってパクパク食べていると、気づかないうちに1日の塩分摂取目標を超えてしまうこともあります。
日本人の食事摂取基準(2020年版)では、1日の塩分摂取目標量は成人男性で7.5g未満、女性で6.5g未満とされています。燻製は少量でも塩分が高くなりがちなので、この数値を頭の片隅に置いておくことが大切です。
(出典/参考リンク) 「日本人の食事摂取基準(2020年版)」策定検討会報告書(厚生労働省)
ナッツやチーズのカロリー管理
また、燻製の定番食材であるチーズ、ナッツ、豚バラ肉(ベーコン)などは、どれも脂質が高く高カロリーです。
煙の香りが食欲を刺激し、お酒も進むため、トータルの摂取カロリーが跳ね上がりがちです。
これは燻製そのものの害というよりは、「美味しすぎて食べすぎてしまう」という副作用のようなものでしょうか。
自家製だからできる「減塩」の工夫
ここで、自分で燻製を作る「自家製」のメリットが活きてきます。
市販品は万人に受ける濃い味付けや、流通のための保存性が優先されていますが、自分で作るならコントロールが可能です。
すぐに食べてしまう予定なら、塩漬けの時間を短くしたり、塩抜きをしっかり行ったりして、「減塩燻製」を作ることができます。
香りで満足感が高まるので、実は薄味でも十分に美味しく感じられるのが燻製の面白いところです。
塩を控える代わりに、ブラックペッパーやハーブなどのスパイスを効かせるのも、私がよくやる手です。
自分好みの塩梅(あんばい)を見つけられるのも、手作りの特権です。
意外と見落としがちな「アレルギー」と「添加物」
塩分や発がん性といったメジャーな話題の影で、意外と見落とされがちなのがアレルギーの話です。
自分は大丈夫でも、家族や友人に振る舞うときに知っておきたい知識です。
燻煙材(ウッド・チップ)の種類とアレルギー
燻製に使う木(スモークチップやウッド)には、様々な種類があります。
中でも注意が必要なのが「オニグルミ(クルミ)」などのナッツ系の木材です。
重度のナッツアレルギーを持っている方は、その木材から出る煙や成分にも反応してしまうリスクがゼロではありません。
また、食材そのものだけでなく、「何で燻したか」も情報として添えてあげることが、優しさにつながります。
もしゲストのアレルギー体質がわからない場合は、サクラやブナ、ナラといった、ナッツ系以外の定番樹種を選ぶのが無難です。
市販の「燻製風」食品と添加物
スーパーやコンビニで売られている安価な燻製製品の中には、実際に煙で燻しているわけではなく、「燻液(くんえき)」という添加物で香りをつけているものもあります。
これが直ちに危険というわけではありませんが、添加物を気にされる方にとっては、意図しない摂取になるかもしれません。
原材料名を見て「くん液」「香料」といった表記があるか確認してみるとよいでしょう。
本物の木を燃やした煙と、添加物による香り。
どちらが良い悪いではなく、自分がどちらを口にしているのかを知っておくことは、食の選択として大切だと私は思います。
妊娠中や体調が優れないときはどうする?
「妊娠中に燻製を食べても大丈夫ですか?」という質問も、よく見かけます。
この時期は、普段以上に食の安全に敏感になるのは当然のことです。
リステリア菌と加熱殺菌の重要性
妊娠中に特に注意したいのが、スモークサーモンや生ハムといった「冷燻(れいくん)」で作られた食品です。
これらは加熱工程がない、もしくは不十分なため、「リステリア菌」という食中毒菌が残存している可能性があります。
健康な大人なら軽い症状で済むことも多いですが、妊婦さんが感染すると、赤ちゃんに影響が出るリスクが指摘されています。
実際に厚生労働省も、妊娠中はスモークサーモンやナチュラルチーズといった加熱殺菌していない食品を避けるよう、明確に注意喚起を行っています。
ですので、妊娠中は「加熱されていない燻製」は避けるのが賢明です。
逆に、しっかりと中まで火が通っている熱燻(ねつくん)や温燻(おんくん)の食材であれば、菌のリスクは下がります。
それでも、塩分の摂りすぎには注意が必要です。
(出典/参考リンク) リステリアによる食中毒(厚生労働省)
心と体の声を聞く
また、つわりの時期などは、煙の独特な匂いが苦手に感じることもあります。
普段は大好きな香りでも、体調によっては「受け付けない」というサインを体が発しているのかもしれません。
そんなときは無理をせず、燻製から少し距離を置いてみてください。
燻製は逃げません。
体調が戻ったときに食べる燻製は、きっと格別の味がするはずですから。
燻製をヘルシーに長く楽しむための3つの約束
ここまで、少し怖い話もしてしまいましたが、これらはすべて「知っていれば避けられるリスク」です。
私自身、健康診断の結果と向き合いながらも、燻製ライフを心から楽しんでいます。
最後に、私が自分自身に課している「ヘルシーに楽しむための3つの約束」をご紹介します。
1. 適切な温度管理と加熱を行う
食中毒などの急性的なリスクを避けるため、温度計を使ってしっかりと内部温度を管理します。
特に肉や魚を扱うときは、「なんとなく」で終わらせず、安全な温度まで加熱されているかを確認する。
これが、美味しい以前の「安心」を作る土台になります。
2. 「無添加」のチップを選ぶ
煙の元となるスモークチップやウッドも、口に入るものの一部と考えます。
接着剤などが含まれた廃材などは絶対に使わず、燻製専用として販売されている、国産の原木を使った無添加のチップを選んでいます。
自然な木から出る煙は、香りも雑味がなく、澄んでいるように感じます。
3. ハレの日の楽しみとして
毎日食べるおかずではなく、週末の夕暮れや、友人が来たとき、キャンプの夜など、「特別な時間」を彩るアイテムとして位置づけています。
「たまに食べるからこそ、美味しい」
そう割り切ることで、塩分や煙のリスクとも、ちょうどいい距離感を保てる気がしています。
まとめ
燻製が「体に悪い」と言われる背景には、煙に含まれる成分や、高い塩分といった事実が確かに存在します。
けれどそれは、付き合い方次第でコントロールできるものです。
- 焦げや煤(すす)は取り除いて食べる
- 塩分が高いので、食べる頻度と量を調整する
- 妊娠中は、加熱されていないスモークサーモンや生ハムを避ける
- 自家製なら、減塩や無添加チップでよりヘルシーに作れる
リスクをゼロにしようとして、楽しみまでゼロにしてしまうのは少し寂しいものです。
正しい知識という「フィルター」を通して、安全に、そして心置きなく。
煙が立ちのぼる静かな時間を、あなたのペースで楽しんでいただけたら嬉しいです。



コメント