特別な日の食卓や、自分へのご褒美として用意した、少し良いお肉。
その美しい赤身を前にすると、料理をする手にも自然と力が入ります。
ただ焼くだけでも十分に美味しいけれど、そこに「煙」という調味料を加えたら、どんな景色が見えるだろうか。
そう考えたことがある方は、きっと私だけではないはずです。
しかし、ステーキやローストビーフといった「火入れ」が命の料理において、燻製をどのタイミングで行うかは非常に悩ましい問題です。
「生肉のまま燻していいのか?」「焼いてから香りをつけたほうがいいのか?」
手順を間違えれば、せっかくの高級肉がパサパサになったり、煙臭くなりすぎたりしてしまうリスクもあります。
この記事では、私が何度も失敗と検証を重ねてたどり着いた、自宅でできる「燻製ステーキ」と「燻製ローストビーフ」の最適な手順をご紹介します。
BBQのような豪快さと、レストランのような繊細な香り。
その両立を目指して、少しだけ手間をかけてみましょう。
焼く前に燻すか、焼いてから燻すか。それが問題だ
ステーキや塊肉を燻製にする際、最初にして最大の分岐点が「加熱と燻煙の順番」です。
結論から言うと、肉の厚みと目指す仕上がりによって、この順番を使い分けるのが正解だと私は考えています。
それぞれの特徴と、適した料理について整理してみましょう。
ステーキは「焼いてから燻す」が正解に近い
厚さ2〜3センチ程度のステーキ肉の場合、私は「焼いてから燻す(仕上げ燻製)」をおすすめしています。
理由はシンプルで、ステーキの魅力である「レア」や「ミディアムレア」の焼き加減をコントロールしやすいからです。
もし生の状態で燻製(熱燻や温燻)をしてしまうと、香りがつく頃には中まで火が通りすぎてしまい、ただの「硬い焼肉」になってしまうことがよくあります。
まずはフライパンで好みの焼き加減に仕上げ、その余熱を利用して短時間だけ煙をまとわせる。
そうすることで、ジューシーな肉汁はそのままに、フワッと鼻に抜ける上品な薫香だけをプラスすることができます。
ローストビーフは「燻してから焼く」で深みを出す
一方で、ローストビーフのような大きな塊肉の場合は、「軽く燻してから、オーブン等で火を通す」という手順が適していることが多いです。
塊肉は中心まで火が通るのに時間がかかるため、最初に表面に煙の風味を染み込ませておくことで、仕上がったときに奥深い味わいが生まれます。
また、低温でじっくり火を通すローストビーフの工程は、煙を馴染ませる時間とも相性が良いのです。
ただし、どちらの場合も絶対に守ってほしいのは「温度管理」です。
食中毒を予防するためには、肉の中心部まで十分に加熱することが不可欠です。厚生労働省は、食肉の加熱条件として「中心温度75℃で1分間以上の加熱」または「それと同等以上の加熱」を推奨しています。
生肉を扱う以上、食中毒のリスクは常に隣り合わせです。
特に低い温度帯で長く燻す場合は細菌が繁殖しやすくなるため、最終的には必ず中心温度を安全なラインまで上げる必要があります。
安全に、かつ美味しく仕上げるための具体的な手順を、それぞれの料理ごとに見ていきましょう。
(出典リンク) お肉はよく加熱して食べよう(厚生労働省)
【レシピ】香りを纏わせる「燻製ステーキ」の作り方
まずは、スーパーで買った少し良いステーキ肉を、お店のような一皿に変える方法です。
このレシピの主役は、あくまで「肉の旨味」であり、煙はそれを引き立てる名脇役として扱います
1. 下準備と常温戻し
冷蔵庫から出したばかりの冷たい肉をいきなり焼くのは、ステーキにおける一番の失敗要因です。
まずは肉を冷蔵庫から出し、室温に30分ほど置いて、肉の内部と外気の温度差をなくします。
この待ち時間の間に、塩と胡椒を振りましょう。
燻製をする場合、塩は少し強めに振っておくのがコツです。
煙の成分には酸味が含まれているため、塩気が弱いと味がぼやけてしまうことがあるからです。
水分が出てきたら、キッチンペーパーで丁寧に拭き取ってください。
水気は燻製の大敵であり、酸っぱい嫌な煙(エグみ)の原因になります。
ただし、長時間室温に放置することは食中毒菌が増殖する原因になります。厚生労働省のガイドラインでも、調理前の食品は室温で長く放置しないよう注意喚起されています。夏場などは特に注意し、常温に戻す時間は必要最小限にとどめましょう。
(出典リンク) 家庭でできる食中毒予防の6つのポイント(厚生労働省)
2. 好みの焼き加減(レア〜ミディアム)に焼く
ここまでは、普通のステーキを焼く手順と変わりません。
フライパンをしっかり熱し、牛脂やオイルを引いて、肉の表面に美味しそうな焼き色をつけます。
「少しレアすぎるかな?」と思うくらいで火から下ろすのがポイントです。
このあと燻製器の中でさらに熱が加わるため、ここで完璧に仕上げてしまうと、最終的に火が通りすぎてしまいます。
焼けた肉は、アルミホイルに包んで5分ほど休ませ、肉汁を落ち着かせます。
3. 仕上げの「5分間スモーク」
ここからが燻製ステーキの真骨頂です。
燻製器(中華鍋や専用鍋でOK)にチップをセットし、強火で煙を出します。
煙が十分に立ったら弱火にし、網の上にアルミホイルごと肉を置きます。
このとき、アルミホイルの口は少し開けておき、煙が肉に触れるようにしてください。
時間は本当に短くて構いません。
5分、長くても10分程度で十分です。
これは「火を通す」作業ではなく、「香水をひと吹きする」ようなイメージの作業だからです。
蓋を開けた瞬間、香ばしい肉の匂いと、チップの甘い香りが混ざり合って立ち上ります。
その香りだけで、赤ワインが一杯飲めてしまいそうなほどの幸福感です。
【レシピ】極上の「燻製ローストビーフ」を作る
次は、週末のディナーやホームパーティー、あるいはBBQで主役になれるローストビーフです。
塊肉を使うため少し難易度は上がりますが、手順を守れば、しっとりとした柔らかい食感に仕上げることができます。
1. 表面を焼き固める(リバースシアの応用)
本来のローストビーフはオーブンで焼きますが、燻製仕様にする場合、私は先にフライパンで表面全面を焼き固める方法を推奨しています。
これは肉汁を閉じ込めるためだけでなく、肉の表面に付着している菌を殺菌する意味でも重要です。
全面にしっかりと焼き色がついたら、一度取り出します。
2. 低温で燻しながら熱を入れる
燻製器の出番ですが、ここでは温度が高くなりすぎないように注意が必要です。
理想は80℃〜100℃程度の温度帯をキープすることです。
温度計を見ながら、チップから煙が出続けるギリギリの弱火を保ちます。
この状態で20分〜30分ほど燻します。
塊肉なので、少し強めに燻しても肉の味が負けることはありません。
サクラやヒッコリーなど、香りの強いチップを使うと、よりワイルドな仕上がりになります。
3. 余熱で中心まで火を通す
燻製器から取り出したら、すぐに二重のアルミホイルで厳重に包みます。
さらにタオルなどで包んで保温し、30分〜1時間ほど放置します。
この「寝かせ」の時間に、熱がじわじわと中心まで伝わり、あの美しいロゼ色の断面が出来上がります。
この方法は、中心温度をゆっくり上げることで肉のタンパク質が固まるのを防ぐ効果があります。
カットしたとき、肉汁が流れ出さずに断面がキラキラと輝いていれば成功です。
口に入れると、最初はスモーキーな香りが広がり、噛むほどに肉本来の甘みが追いかけてくるはずです。
燻製ステーキに合う「香り」の選び方
ステーキやローストビーフを成功させるために、もうひとつ大切な要素が「チップ(木材)」の選び方です。
高級な食材を使うのですから、合わせる香りにもこだわりたいところです。
また、バーベキューなど屋外で調理する場合も、生肉を触った箸で食べるものを触らないなど、衛生管理には十分注意してください。内閣府食品安全委員会からも、バーベキューにおける食中毒への注意喚起が出されています。
(出典リンク) バーベキューによる食中毒を防ぐために(内閣府 食品安全委員会)
王道の「サクラ」と「ヒッコリー」
牛肉のような味の強い食材には、やはり香りの強いチップがよく合います。
日本では定番の「サクラ」は、肉の臭みを消しつつ、しっかりとした燻製感を出してくれます。
アメリカのBBQでよく使われる「ヒッコリー(オニグルミ)」もおすすめです。
サクラよりも少しシャープで、ベーコンのような食欲をそそる香りになります。
大人向けの「ウイスキーオーク」
もし、少し特別な夜にするなら、「ウイスキーオーク」のチップを使ってみてください。
ウイスキーの熟成に使われた樽をチップにしたもので、甘く芳醇な香りが特徴です。
これが赤身肉の鉄分を含んだ味わいと、驚くほど相性が良いのです。
焼き上がったステーキに岩塩を少しつけ、ウイスキーオークの香りを楽しみながら、重めの赤ワインを合わせる。
それは間違いなく、自宅で味わえる最高の贅沢のひとつです。
まとめ
ステーキやローストビーフを燻製にするということは、単に調理法を変えるだけのことではありません。
それは、「焼く」という行為に「待つ」という時間を加え、食事をひとつの体験に変えることです。
ステーキなら「焼いてから、軽く燻す」。
ローストビーフなら「表面を焼いて、燻しながら熱を通す」。
この基本ルールさえ押さえておけば、高価な肉を台無しにする心配はありません。
煙が立ち上る数分間、ただ静かにその変化を待つ時間さえも、料理の一部として楽しんでみてください。
燻製によって纏わせた香りは、いつものステーキを、記憶に残る特別な一皿に変えてくれるはずです。
今度の休日は、スーパーでお気に入りの肉を見繕って、自分だけの「煙の魔法」をかけてみてはいかがでしょうか。



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