築40年の古民家で暮らしていると、夜の静けさが妙に心地よく感じるときがあります。
そんな夜、スーパーの特売で買った、なんの変哲もないパック詰めのベーコンを冷蔵庫から取り出します。
普段は野菜炒めやスープの「脇役」でしかない、その食材。
本格的な自家製ベーコンを作ろうとすれば、塩漬けに一週間、塩抜きに半日、そして乾燥、燻煙と、気の遠くなるような時間と手間がかかります。
正直なところ、忙しい仕事の合間にそこまでのエネルギーを注ぐのは、私でも少し億劫になることがあります。
けれど、あきらめる必要はありません。
実は、市販のベーコンにたった15分ほど「煙をまとわせる」だけで、驚くほど風味豊かなご馳走に生まれ変わらせる方法があります。
私はこれを、敬意を込めて「追い燻製」と呼んでいます。
今夜は、誰でも失敗せずにできる、市販ベーコンの燻製術についてお話しします。
ライターをカチ、と鳴らしてチップに火を移す。その瞬間のワクワクを、少しだけお裾分けできればと思います。
なぜ、「市販のベーコン」をあえて燻製するのか
そもそも「ベーコンって、すでに燻製されているものでは?」と思われるかもしれません。
確かにその通りなのですが、大量生産されている市販品の多くは、製造効率を優先して燻製時間が非常に短かったり、燻液(くんえき)という香料で風味付けされていたりすることがあります。
これは決して「偽物」というわけではなく、農林水産省が定めるJAS規格(日本農林規格)でも、くん液を用いた製法は正式に認められています。安全で手軽にベーコンの風味を楽しめる優れた技術ですが、やはり「本物の煙」でいぶした香りとは、構造的に別物なのです。
だからこそ、自宅で本物の煙を「追いがけ」してあげるのです。
それだけで、袋を開けただけの平坦な味が、奥行きのある複雑な味わいへと劇的に変化します。
(出典/参考リンク)農林水産省「ベーコン類の日本農林規格」(PDF)
「ブロック」か「薄切り」か、選び方の正解
スーパーの売り場には、ブロックタイプと薄切り(スライス)タイプが並んでいますが、燻製にするならどちらが良いのでしょうか。
結論から言えば、**「ブロック」**が圧倒的におすすめです。
かつて大学で食品科学をかじっていた視点から少し補足すると、燻製は「煙に含まれるフェノール類などの成分を食品に付着・浸透させる」工程であると同時に、熱と風で「水分を抜く」工程でもあります。
薄切り肉だと、表面積が広すぎて水分が飛びすぎてしまい、旨味が凝縮する前にジャーキーのようにカピカピになってしまうリスクがあるのです。
ブロック肉であれば、表面は香ばしく、中はジューシーな脂の旨みを残したまま仕上げることができます。
もちろん薄切りでも可能ですが、その場合は燻製時間を短くするなどの調整が必要です。
まずはごろっとしたブロック肉を用意して、その豊かさを体験してみてください。
道具は「フライパン」でも「専用機」でも
「燻製」と聞くと大掛かりな道具が必要に思えますが、市販ベーコンの「追い燻製」程度であれば、身近な道具で十分です。
フライパンで手軽に試す場合
もっともハードルが低いのは、鉄のフライパン(または中華鍋)を使う方法です。
フライパンの底にアルミホイルを敷いてチップを置き、網を乗せて食材を配置し、蓋をして火にかけるだけです。
ただし、テフロン加工のフライパンは空焚き(食材を焼かずに熱すること)に弱く、コーティングが傷む原因になるため、使い古したものか鉄製のものを使うのが鉄則です。
実際、フッ素樹脂(テフロン等)加工されたフライパンを空焚きすると、わずか5分ほどで表面温度が350℃以上に達し、コーティングの分解や有害なガスの発生につながる恐れがあると、業界団体や国民生活センターからも注意喚起が出されています。安全のためにも、ここだけは無理をせず道具を選んでください。
また、どうしても煙が漏れやすいので、キッチンの換気扇を「強」にして行う必要があります。
(出典/参考リンク)日本化学工業協会「フッ素樹脂加工フライパンの空焚きに注意」(PDF)
専用のコンパクトスモーカーを使う場合
もし、これからも「火と煙のある暮らし」を少しずつ楽しみたいと考えているなら、卓上サイズの燻製器をひとつ持っておくのも良い選択です。
陶器製やステンレス製のコンパクトなものなら、煙の漏れも最小限に抑えられますし、温度管理もしやすくなります。
私の暮らす安曇野の家では、少しずつ手を入れたDIYの空間に、使い込んだ燻製器が並んでいます。「今日はどれを燻そうか」と道具を選ぶ時間が、日常の中に小さな楽しみを作ってくれます。
【実践】15分で完成させる「追い燻製」の手順
それでは、具体的な手順を見ていきましょう。
難しいことは何もありませんが、ひとつだけ「乾燥」という工程をサボらないことが、酸っぱくならず美味しく仕上げるための科学的なコツです。
1. 表面の水分をしっかり拭き取る
まず、ベーコンをパックから取り出し、キッチンペーパーで表面の水分を丁寧に拭き取ります。
ここが一番のポイントです。水分が残っていると、煙の成分と反応して酸味が出てしまったり、色付きが悪くなったりします。
時間に余裕があれば、ラップをせずに冷蔵庫で30分ほど置いて表面を乾かすと、より香りの乗りが良くなります。
2. 燻製器(またはフライパン)にセットする
燻製器の底にアルミホイルを敷き、燻製チップを一握り(大さじ2〜3杯程度)置きます。
チップの種類は、どんな食材とも相性が良く、香りが上品な「サクラ」や「ヒッコリー」がおすすめです。
網の上にベーコンを重ならないように並べます。
3. 点火して煙をかける(10〜15分)
蓋をして中火にかけ、チップから煙が出てきたら弱火にします。
ここからの時間は10分から15分程度で十分です。
生肉から作るわけではないので、中心まで火を通す必要はありません。あくまで「香りをまとう」ことが目的なので、色が美味しそうな飴色になったらそれで完成です。
4. 煙を落ち着かせる
火を止めたら、すぐに食べたくなるところですが、ぐっと堪えて5分ほど常温で休ませます。
できたて直後は煙の香りが尖っていて、「煙たい」と感じることがあるからです。
少し時間を置くことで、香りが肉の脂と馴染み、まろやかで芳醇な風味に変わります。
「そのまま」か、それとも「アレンジ」か
完成した「スーパー燻製ベーコン」。
まずはぜひ、厚切りにして**「そのまま」**食べてみてください。
口に入れた瞬間、市販品特有の科学的な風味が消え、焚き火のような野性味と、凝縮された豚肉の甘みが広がります。
ウイスキーやビールのお供として、これ以上の相棒はいないかもしれません。
料理に使うなら「主役級」のアレンジで
もし料理に使うなら、ベーコンの存在感が際立つシンプルなメニューがおすすめです。
大人のポテトサラダ
いつものポテトサラダに、細かく刻んだ燻製ベーコンを混ぜ込みます。
マヨネーズの酸味と燻製の香ばしさが重なり、居酒屋レベルを超えた一品になります。仕上げに黒胡椒をたっぷり挽くと、味が引き締まります。
シンプルなカルボナーラ
具材は燻製ベーコンだけ。
卵とチーズのソースに、燻製の香りが移った脂が溶け出し、レストランで食べるような奥行きのある味になります。
失敗しないための注意点
最後に、安全に楽しむためのポイントをいくつかお伝えしておきます。
これは私のスタンスでもあるのですが、燻製は「安全」であってこそ、心地よい趣味になります。
加熱しすぎに注意する
市販のベーコンはすでに加熱済みですが、追い燻製で長時間熱を加えすぎると、脂が溶け出してパサパサになってしまいます。
「色はついたけれど、なんだか硬い」という場合は、燻製時間を短くするか、火を弱めてみてください。
換気は十分に
キッチンのガスコンロで行う場合は、必ず換気扇を回し、窓を少し開けて空気の通り道を作ってください。
部屋中に煙が充満すると、火災報知器が反応してしまうこともあります。
日本防火・防災協会のマニュアルでも、調理の煙や湯気が直接かかる場所では警報器が誤作動(非火災報)する場合があるとして、換気や設置場所の確認を推奨しています。美味しい煙は、あくまで換気扇の下や窓辺だけで楽しみましょう。
家族と暮らしている場合は、「今から美味しい実験をするから」と一言断っておくのが、平和な家庭を保つ秘訣かもしれません。
(出典/参考リンク)日本防火・防災協会「住宅用火災警報器の適正な設置と維持管理マニュアル」(PDF)
まとめ
スーパーで手に入る数百円のベーコンが、わずか15分ほどの「煙の魔法」で、週末の食卓の主役へと変わります。
一から作る手間暇も尊いものですが、市販品の力を借りて、賢く楽しむのもまた、長く続く趣味のあり方です。
パックのベーコンを買って帰った日の夜、フライパンや燻製器を取り出して、少しだけ火と向き合ってみる。
立ちのぼる香りを吸い込みながらビールを開けるその時間は、忙しい日常の中で自分を取り戻す、小さな儀式になるはずです。
今夜あたり、スーパーの精肉売り場を覗いてみてはいかがでしょうか。



コメント